大人

中学の国語の先生に最近会う機会があって
「中学の国語ってどういう指導目標で教えてるんですか」と聞いた。数学だったら、様々な事象を通して論理的思考力を学ぶー的なことがよく言われてるけど、国語って漢字ぐらいだよなとか思ってた。
 
 
先生曰く
「伝えたいことを伝えるための言葉と文法を習得させること」「書かれてある文章から相手の意向を読み解くこと」の二つだそう。
 
 
そしてその先生は付け加えて
「社会に出て働きだしたあなたたちが、対話を放棄しないようにすることが私の目標よ」と言っていた。
どれだけ話しても、この人とはかみ合わないというときに、感情に任せて「あなたと話していても埒が明かない」と会話を放棄することは誰にでもあること。この先生の言葉を聞いてから、放棄を辞めた。ぐっとこらえて話を続ける。辛抱のいることだけれど、とても大切なことだと気づいた。
 
大人になりたくない、大人クソだと思っている学生は割と多いと思うけど、身近にいる大人しか見ていないからその程度の想像力しか身についていないだけで、その子たちが様々なものに触れない限りは大人になったときに同じような大人になる可能性は大いにある、というか、年齢が上の人間を大人という単位でくくる必要はないし、ただ、人間という生き物が時間を経て大きくなったというだけの話。犬に「人間でいうところのおじいちゃん」的な、人間が作った言語や価値観での押し付けって本来必要ないんじゃないか。
 
夜勤で生活習慣が乱れまくりの大人という年齢に当たる人間が思ったことです。